襲撃ーIn a Forestー 1

 ある森の、奥深くにポツンと建てられた一軒家。此処で一人暮らしているという男を訪ねるため、私は赤井さん二人でやってきていた。しかし何度も呼んでも返事がなく、試しにドアノブに手をかけてみたら施錠がされていない。一気に高まる緊張感。私たちは銃を手に家の中へと足を進めていく。

「クリア」
「こっちも、クリアです」

 どうやら我々は一歩遅かったみたいだ。

「もう逃げられた後ですね……」
「ああ、運のいい奴だ」
「あ、赤井さん!ポットがまだ熱い……っ」
「逃げて間もないか。なら付近の防犯カメラを探れば……っ!」

 すると赤井さんは、急に何かに気づいたように息を詰まらせる。

「名前っ、!」

 振り向くと、赤井さんが私に覆いかぶさり、そのまま押し倒された。同時に何十発もの銃弾が家屋を貫いていく。耳を劈くような銃声と、砂埃が舞う。恐らく相手は複数人。機関銃で所構わず乱射されている。赤井さんは直ぐにソファーを倒して私を抱えるように身を顰めるけれど、これでは到底持ちそうにない。

「っ、くそ……走れるかっ?」
「……はい、っ!」

 赤井さんはタイミングを見計らって私を立ち上がらせる。背中を押されるまま、私たちは家の裏口へと走った。奇跡的にそこはまだ敵が回っていない。袋叩きになるよりは家を飛び出す方が賢明だろう。私たちは勢いそのままに木々の間を駆け抜けるように斜面を下って行った。

「名前、こっちだ!」

 足場の悪い山道で思うように走れない。なんとか転がり落ちないように力みながら足を運んでいると、赤井さんに腕を掴まれて引き止められる。

「あ、あかいさ、どうすれば?!」
「こっちだ、っ」
「でも……どこへ……っ?!」
「記憶が正しければ、恐らく、っ」

 赤井さんは私の腕を引いて道なき道を行く。私たちがここまで乗ってきた車は、男の家の前に停めたまま。スマホはあるけれど、きっとこんな山奥では電波が届かない。追手もいる中、一体どうやってこの森を抜ければ。走りながらちらりと後方を仰ぎ見ると、男の家の方からは黒い煙が立ち昇っていた。

「ほんとにっ……あ、った」

 赤井さんに導かれるまま走って、もう何分だろう。奇跡的に古びた山小屋までたどり着いて、喜びのあまり赤井さんを見上げた。でも、期待した返事が返ってこない。視線を向けると彼も珍しく息を切らしていて、顔も少し血の気が引いて見える。

「っ、あかい、さ……?」
「行こう……運が良ければ、無線が、っあるかもしれん」

 ぐんぐんと前を行く赤井さんは自分の腰に手を添えて、上半身を右側にやや傾けている。不自然にも見える歩き方は、決して足場が悪いからではない。

「っ……あっ、赤井さんっ?!」
「叫ぶな……」
「だ、だってっ……!」
「……掠めただけだ、っ」

 平気な振りをしているけれど、声に力がない。サーッと血の気が引く思いだった。もしかして、あの時、私を庇って……?

「もう、なん、で……っ!」

 湧き上がってくる苛立ち。これは一体、何なのだろう。赤井さんは自分の傷は後回しに、小屋の様子を伺っては一人で中へ入って行く。急いで後を追えば、そこは湿っぽく埃も舞っていて、ガラクタらしきものが床に散乱していた。

「以前、捜査でこの辺りに来たことがある。誰かのセーフハウスだったんだろうな。酒もある。ああ、無線も、」
「っ、赤井さん、そうじゃなくて!」

 いつも以上に饒舌な姿が、余計に不安を煽った。赤井さんはジャケットの上から手で止血しているようだけれど、その手はもう血でべっとりと濡れてしまっている。走るのに必死で、全然気付けなかった。

「傷っ!どうにかしないと!」
「今は止血すること以外、何もっ、出来やしない。それよりこの無線で、」
「待って、一回見せてくだっ……!」

 処置を後回しにしようとする赤井さんを制して無理にジャケットを捲ると、ちょうど脇腹あたり、赤黒い血で溢れていた。

「え、」

 走って余計に傷が広がったのか、想像以上の出血だった。こんなの平気な訳がない。ということは今はアドレナリンが出ているから平気なだけで、逆にとても不味い状態なのでは。

「ど、どうすれ、ば……っ!」
「無線で、誰かに繋がればいいが、無理ならこのまま、っ」
「そうじゃなくて!もっ、ちょっと、座ってください!」

 とにかく止血だ。私は咄嗟に目に入ったタオルを拾い集め、小屋にあった酒瓶でタオル浸す。消毒がわりにするには良くないと分かっているけれど、今はこうする他ない。思い切って患部を押さえると、さすがに赤井さんも辛そうに顔を歪ませた。

「名前、こっちはいい、あとは、っ」
「分かってます、無線ですよね!やるので黙ってそこを押さえていてください!」

 もうこれ以上、動いて欲しくなかった。とにかく赤井さんを座らせて、そして私は無線の前に立つ。ここから離脱するには、これに賭けるしかない。でも正直、いつの時代のものかも分からない古びた無線を前にして不安しかなかった。

「お願い、誰かっ……っ!」

 酷い音を立てながら無線はなんとか動いてくれた。けれど、繋がりはしない。いくらつまみを回しても応答する気配が無かった。赤井さんは安静にしていて欲しいのに立ち上がっては窓の外を見ているし、焦りと苛立ちが募って助けを呼ぶ声も掠れていく。時間は刻々と過ぎていった。

「……まずいな、っ」

 赤井さんが呟いたのが聞こえた。でも、主語のないその言葉の意味を聞き返せない。怪我をした赤井さんと、ここから離脱する方法がどうしたって見出せなかった。定期連絡が途絶えた私たちに、チームメンバーが気づくのはもう少し後だろう。でもそれを待っているうちに見つかってしまう。

「……え?」

 その時、背後からドンっという鈍い音がした。見れば、赤井さんが壁に手をつくようにしてズルズルとしゃがみ込んでいる。まるでスローモーションのように、全くもって現実味のない姿に駆け寄るのにも時間がかかった。

「っ……あかっ、!」
「構うな、きみ、は……っ」
「赤井さんっ!!」

 明らかに先ほどより血色のない顔を見て、咄嗟に彼の首筋に手を当てる。どく、どく……とそのリズムはかなり遅い。冷え切った肌から、その猶予がもうないことは明らか。

「どう……すれば」

 その時、無線からジリッっと音がした。私は必死に相手に呼びかけ、状況を説明する。これで、警察が動いてくれるはず。FBIの仲間も。

「赤井さんっ、あと少しで、っ!」
「……っ」
「あ、赤井さん?!」
「……い、」

 顔を歪めて声を発する赤井さんの視線の先を見ると、患部を押さえて真っ赤に染まった手が、だらりと床に垂れている。

 もう、力が入らないんだ。どうにかしなきゃと思うけれど、私は赤井さんの代わりにタオルでそこを押さえることしか出来なかった。ぐっと力を込めると、赤井さんの顔が僅かに歪む。

「赤井さん!もうすぐ助けが来ますから……!」
「……は、っ」
「意識!!落とさず保っていてくださいっ!ねっ、起きて!!」
「っ……きみに、叱られる……とは、」
「そう!怒ってるの!!だから赤井さん、寝ちゃだめ!」

 でも赤井さんは力無く首を垂らしていく。

「ちょ……っちょっと、本当にっ!」

 赤井さんの顔を持ち上げようと頬に触れると、あまりにも冷え切り様に息を飲んだ。僅かに開かれている唇は紫色に。その僅かな隙間から息が通る度に、彼の生命力までも抜けていっているようだった。

「ま……ま、って……っ!」

 いよいよ、その瞼も下がろうとしている。

「だめ……あかい、さっ!」

 その瞬間、パキッと枝が折れる音が外から聞こえた。私は咄嗟に血に濡れた手をホルスターに掛ける。けれど、できれば抜きたくない。今、私一人の状況で銃撃戦になったら絶望的だ。どうかこのまま立ち去ってと願うけれど、山中にポツンと建てられたこの小屋を彼らが素通りする筈がない。

 ドクドクと早まる鼓動。短くなる呼吸。ぞわりと沸き立つ武者震い。でももう、行くしかない。

「……っ、借ります!」

 私は自分の手についた血を腿で拭うようにして、赤井さんの銃を抜き取る。それを予備としてホルスターに装着し、入口の脇に向かって身を隠しながら移動した。背中に壁が当たる。

 チラリと、赤井さんの方を見るけれど、壁に背を預けて青白い顔を下に向けたまま。つまり、ここでやらなければ赤井さんも。

「……っ」

 最初の数秒で全てが決まる。指先は僅かに震えたけれど迷いはない。銃を握る手にはぐっと力を込め、私はその時を待った。